2008年にDRAGON GATE(以下「ドラゲー」と称する)の後楽園大会で事件が起きました。
「リング崩壊事件」です。
言葉だけを見ても意味が分からないことだと思いますが、試合中にリングが壊れてしまったのです。
ドラゲーといえば、ジュニアヘビー級の選手が多く所属している団体。
リングが壊れてしまうような激しい試合とは違い、スピード感溢れる戦いや空中殺法など華やかなイメージがあるのではないでしょうか。
そんな団体のリングが何故、崩壊したのか、そして大会はどういう結末を迎えたのか。詳しく迫っていきたいと思います。
ドラゴンゲートとは
まずは本題に入る前にドラゲーがどういう団体かということを頭に入れていただきたいと思います。
ドラゲーの前身はウルティモドラゴン選手が旗揚げした「闘龍門JAPAN」という団体が母体にあります。
そのベースにはメキシカンプロレス、いわゆるルチャや空中殺法が売りとなっていて、スピード感が溢れる試合が繰り広げられます。
また、複数のメンバーで構成される「ユニット」同士の構想もドラゲーの醍醐味です。
そのため、ドラゲーの選手の中にはロープやコーナーを使ったアクロバティックな技を得意とする選手が多数います。
事件発生
事件発生時のユニット状況
事件は2008年8月9日の後楽園ホール大会での出来事です。
この大会は「Summer Adventure TAG League」の開幕日でもあるということで、
ファンも大いに期待している大会でもありました。
当時のドラゲーはGamma選手YAMATO選手中心とした唯一のヒールユニットREAL HAZARD。
CIMA選手(当時は首の負傷で長期欠場中)とドラゴン・キッド選手を中心としたタイフーン。
そこには現在、新日本プロレス所属の鷹木信吾選手も在籍していました。
土井成樹選手と吉野正人選手による土井吉が中心となったWOLRD-1。
戸澤アキラ選手(戸澤陽)と新井健一郎選手が中心となった戸澤塾の4ユニットによる戦いが軸となっています。
対戦カード
大会はいつも通り18:30に開幕し、第一試合が始まります。
対戦カードはリアルハザードのGamma選手&神田裕之選手対シーサーBOY選手&超神龍選手(問題龍)のタッグリーグとは関係のない試合になります。
試合が開始どこか違和感を感じるファン。選手が動いたり、ロープに走ったりするとリングが度々大きく揺れていました。
そんな中、神田選手がロープに振られた瞬間、リングが傾きだし同時にロープも緩るみます。
エプロンで待機していたGamma選手も慌てて場外へ逃げます。
リング内ではレフェリーの八木隆行本部長もあたふたした様子が見られます。けれど試合は続行されて、
神田選手が超神龍を丸め込んで3カウントを奪って試合を早々と終わらせました。
場内騒然
そして試合が終わり、リング点検のため一時大会が中断しました。
八木レフェリーがリングの傾きを直すためにエプロンに上がって鉄柱を何度か蹴ると、
エプロン部分がなんと陥没してしまったのです。
八木レフェリーの身体が傾き、会場から「あー!」という声が響き渡りました。
調べてみるとリングの鉄骨同士を溶接した部分がぽっきり折れてしまっていたのです。
明らかに崩壊しているリングが目のあたりになり、選手も含め会場全体がざわつき始めました。
その会場にいたら誰もが思うことでしょう。「大会はどうなる?」「まさか中止か?」と。
当時のドラゲーの社長である岡村隆志氏までもがリングの様子を心配そうに見に来ました。
運命の決断
中止か続行か
そんな中、崩壊したリングを選手達が撤去していきます。その姿をファンもただ見守ることしかできませんでした。
ざわざわする中、岡村社長、八木レフェリー、選手たちで話し合いが行われ、岡村社長がマイクを握ります。
「アメリカからリングを発注したところ、こういう結果になってしまいすみません。このままだと試合続行はできません。
しかし、皆さんがお許しいただけるなら、ノーリングでやりたいと思います。よろしいでしょうか。」
と問いかけたところ、超満員の観客は大歓声と拍手で応じました。
リングの代わりに
急遽、床に直接マット敷き、その上に板とリング用のスポンジを敷いて、その上からキャンバスを被せてガムテープで固定した即席リングが約30分かけて完成しました。
しかし、リングが完成したは良いが、選手達はどの様にして戦うのか力量が試されます。
試合は再開しリーグ戦が始まりました。マットが床に直接固定されている分、まったく弾まず衝撃が逃げない。
受身は取りづらく、またロープも撤収されたことで、スピーディーな技だけなくロープワークも使えないという過酷な状況での試合になります。
試合再開
鷹木&キッドvsハルク&谷嵜
まず、鷹木信吾選手&キッド選手対B×Bハルク選手&谷嵜なおき選手の試合では、
ロープがない分花道を全力疾走した技や、イスやテーブルを使って立体的な技を出すなど工夫を見せていきます。
キッド選手は普段、ロープやコーナーを使った技が多く、ノーリングマッチに相性が悪いです。
しかし、北側のステージを利用したムーンサルトプレスを放ったり、鷹木選手をロープのように使って技を出したり、
普段は見ることができない試合で会場を大いに会場を盛り上げました。
土井吉vsYAMATO&サイバーコング
メインは土井吉vsYAMATO選手&サイバーコング選手の対決。
試合中、吉野選手がいつも通りミサイルセントーン(コーナーから立っている相手にミサイルキックと寝ている相手にセントーンをする技)
を放とうとするが、ご覧の通りコーナーもロープもない。
そこで機転を利かした吉野選手はテーブルを持って来て、その上からミサイルセントーンを放ったりと選手一人一人がノーリングを活かした技を繰り出していきました。
リングを壊した真犯人、、、?
また、メインに勝利したYAMATO選手は
「ひとつ言い忘れた。おまえら、何であのリングがぶっ壊れたか知ってるか? こっそりオレが道場で細工してたんだ、バーカ!」
とヒールらしさを残しつつ粋なコメントを残し退場する姿には会場からも拍手が起こりました。
選手それぞれがファンを一番に想い、ハプニングを味方につけた大会となりました。
選手の涙
吉野選手は試合後のマイクの途中、ファンからの「楽しかった」「お疲れ様」などの声援で
思わず涙を流す場面もありました。
大会終了後には選手達が自発的に観客らを見送り、ファンは最後の最後まで楽しむことができた大会だと思います。
ヤングバックの粋な対応
ちなみにこの大会にはヤングバックス(マットジャクソン選手とニックジャクソン選手の兄弟タッグ)も出場しており、
望月成晃選手とドンフジイ選手のモチフジタッグと対戦しています。
モチフジは持ち前の明るさと経験値を活かして、会場全体を使った試合運びをしてファンも大興奮でした。
試合はヤングバックスが勝利し、自身らは全く関係ないにもかかわらず、アメリカ製のリングが壊れたことをドラゲー関係者とファンに謝罪しました。
まとめ
プロレスにはハプニングはつきものです。ですが、時には誰も予想もできないことが起こることがあります。
そこでどういった対応するかがその団体の命運を分けることでしょう。
この出来事はDRAGON GATEがプロレスの神様に「試された」日だったのではないでしょうか。
当たり前のことですが、ファンとの信頼関係がしっかりしている団体からこそ、この形式を理解してもらったと思います。
週刊プロレスもこの日を「伝説の大会」と称するほど、ドラゲーの歴史、ファンの記憶そしてプロレス史にも残る大会を大成功に納めました。
過去に起きたノーリングマッチ
余談として、1990年9月20日、FMWの奈良県大会でも同じような事件が起きました。
この日は、台風の影響を受け、リングが試合開始までに間に合わないということが起きました。
選手の代表で大仁田厚選手は「台風のためリングが間に合いません。
そのためノーリングストリートファイトマッチに全試合、させていただきます」と説明。
すると、観客からは温かい拍手が送られた。急きょ、今回のドラゲーの対応と同じようにマットをリング中央に敷いて
リングの代わりとし、全試合会場のどこでもファールできるエニウェアストリートマッチを採用した大会がありました。
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